教会からのお知らせ

礼拝

2024.03.31

礼拝 3月 31日(日)午前 10時15分〜
聖書 ローマの信徒への手紙 第6章 3〜11節 
      

説教 「復活の恵みにあずかる」
        八束 清 牧師

復活日ふっかつび・イースターがしゅイエス・キリストの復活ふっかついわであることは、おおくのひとるところとなりました。それでもおおくの場合ばあい、このイエスさまの復活ふっかつ自分じぶんとはかけはなれたはなしとしてくことからはじまります。やく2000年前ねんまえ十字架じゅうじかんでほうむられたイエスさまが三日目みっかめ復活ふっかつさせられた。そんなことがあったらしい、と。

ところがパウロは確認かくにんいたします。それは、イエスさまのお名前なまえによって洗礼せんれいけたものというのは、復活ふっかつしたイエスさまと一体いったいになったというのです。なにかイエスさまが大昔おおむかし復活ふっかつしたというばかりでなく、いまも、洗礼せんれいけたもの一体いったいだという。

イエスさまがこのわたし一体いったいとなってくださいます。そしてこのイエスさまが、わたしかおてんちちなるかみさまのほうへと、ぐいっとけてくださる。

それはちょうど、どものうしろからおや両手りょうてかおはさんで、「こちらをみてごらん」とぐいっとかおけてあげるようなものです。イエスさまはご自身じしんかみさまに相対あいたいしておられるように、わたしをもかみさまへとめんかってきるものとしてくださるのです。

洗礼せんれいけたものも、まだこのかみさまをはっきりとることはできません。それでもイエスさまは、ご自身じしんから復活ふっかつさせたかみさまについて、聖書せいしょとおしてかえらせます。そして聖霊せいれいそそいで、わたしかみさまへとかってかしてくださるのです。

画像クリックで拡大
画像クリックで拡大