教会からのお知らせ

礼拝

2024.04.21

礼拝 4月 21日(日)午前 10時15分〜
聖書 マタイによる福音書 第9章 27〜31節 
      

説教 「私にできると信じるのか」
        八束 清 牧師

わたしにできるとしんじるのか」 八束 清牧師

「ダビデのよ、わたしたちをあわれんでください」。そうさけ二人ふたり盲人もうじんたいし、イエスさまはそとではおうじません。いえへとはいってゆき、そなか二人ふたりもとめにこたえます。これは「山上さんじょう説教せっきょう」でのおしえとかさなります。「あなたがいのるときは、おくまった自分じぶん部屋へやはいってめ、かくれたところにおられるあなたのちちいのりなさい。そうすれば、かくれたことをておられるあなたのちちむくいてくださる(6:6)」。

わたしいのりにイエスさまがともないます。ですがわたしこそがかみさまへとめんかっていのらねばなりません。なにわたし代役だいやくてて自分じぶんもとどおおうじさせようとするのではありません。そんなことではかみさまがたそうとしておられるものをいただけません。

また、わたし本当ほんとうもとめというのは自分じぶんにもかくされています。わたくしたちはものごのみして「これはいらない、あれが必要ひつようなのだ」とうったえることがあります。ですがおや本当ほんとう必要ひつようものをこそあたえます。不承不承ふしょうぶしょうおやしたがってべますが、あとにようやくその価値かち大切たいせつさがかってきます。

二人ふたり自分じぶん願望がんぼうをイエスさまに投影とうえいし、あやまった認識にんしきうったます。それでも、このしゅ二人ふたりもとめをれてくださいました。これからイエスさまは十字架じゅうじかへとかいます。二人ふたりはイエスさまの復活ふっかつることで、かみさまがこのかたをメシアとしてあたえ、わたしあがなぬしとなられたことを、るのです。


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