礼拝 5月 5日(日)午前 10時15分〜
聖書 マタイによる福音書 第10章 1〜15節
説教 「天の国は近づいた」
八束 清 牧師
イエスさまは、弟子たちを遣わすにあたり「『平和があるように』と挨拶しなさい」と命じます。これは旧約の民が「シャローム」と挨拶したのと同じです。いつの時代からか旧約の民はそう挨拶しました。
イエスさまは、弟子たちを遣わすにあたり「『平和があるように』と挨拶しなさい」と命じます。これは旧約の民が「シャローム」と挨拶したのと同じです。いつの時代からか旧約の民はそう挨拶しました。
ところが今や、弟子たちはそれまでとは異なる重みをもってこの挨拶をします。それはこの挨拶が「天の国は近づいた」ということと同じ事柄を告げるからです。神さまは天の国の到来をもって私との間に、私の死を越えて平和を実現してくださるのです。
平和はまず、神と私との間で打ち立てられねばなりません。ただ私の側からは神に達し得ず神と和解することができません。むしろ私はといえば、的を外し神さまに背中を向けるばかりです。ですから、神さまはイエスさまをお与えくださったのです。
イエスさまは十字架へと向かわれます。十字架で献げられる命はわたくしたちが神さまと和解するための身代金でした。これにより神さまは私さえもご自身のものとし、神の平和をお与えくださいます。
わたくしたちが告げる神との和解、神との関係の回復については、相手にすぐに受け入れてもらえないことがあります。とても寂しく辛いことですが、祈って待ち望まねばなりません。そして、そこにおいても神さまは私との間に平和をなお保ってくださる。私はそこから外れてはならないのであり、イエスさまは私をなおそこに立たせてくださるのです。